instagramの面白さや心地よさってなんだろう?どんなSNSだろう?
とある会でそんな話題があがりました。
日常を切り取る手法はSNS上のコミュニケーションの醍醐味であるというのはもう自明の理だけれど、とりわけinstagramの魅力って??
「写真だけのコミュニケーションだから(言葉じゃない)心地よい」
という説があがったのですが、私にとっては何だか少しだけ違う気がしていて、「写真+言葉(キャプション)の絶妙なバランスで成り立っているところが魅力」に思う、というような事を話しました。
その日は、言いたい事がうまく伝えきれた気がしなくて、ここしばらく考えていました。
ちょっと思いついた例えがあったので、書いてみます。
「instagramの楽しさは音楽的なのかもしれない」
そんな仮説を立てました。
音楽は、インストルメンタルで愉しむ事もあれば、ボーカルが入ったものもあります。
インストルメンタル部分を「画像」、ボーカル部分を「言葉(キャプション)」、ハッシュダグを「ジャンル・アーティスト名・楽器名」などのカテゴリ検索ツールと考える。ミュージシャンが投稿主で、フォロワーがリスナー。
クラシック音楽などインストをメインで楽しむ事もできるし、JAZZや異国の言葉(歌詞が理解出来ない)のボーカルが楽器と一体になったものを楽しむ事もできる。
生音もあれば、ピコピコとエフェクトもかけられる。
加えて、CMソングもあればJ-popのようなメッセージ性の強いボーカルの立った曲だってある。
instagramは、写真の好みや善し悪しでの評価軸だけでなく、その写真のボーカル要素(ストーリーや作り手のメッセージ)に対する共感が評価軸として存在しているように思うのです。
きっと私は、この単品評価ではないところや、気分やセンスで「見る・見ない」「投稿する・しない」をなんとな〜く(しごく感覚的に)出来る所が心地よくて好きなんじゃないかな思います。
SNSって、娯楽の1つにすぎないのに、よくも悪くもあまりに生活の一部になってしまっているからしんどくなることがあるんですよね。
その点、instagramを開くときって、iPodを再生させる時やアンプのスイッチを入れる感じ(ピアノの蓋あけるとかね)に近い気がします。
クラシックもあれば、JAZZやUKもある、たまにはJ-popだって恋しくなる。
そんなiPodシャッフルみたいなことがinstagram上で起こっていて、それを私は楽しんでいるのかな、と。
Flickrは恐れ多いというかガチすぎるし、Pinterestはまたちょっと使う方向性(アイデアや未来軸)が違う。
twitterはやはり言葉が強いしリツイートとかリンクとか便利過ぎるから日常の延長。
キャプションって、意思やメッセージじゃなくて「詩」なんだよ〜という言い訳が出来るくらいな柔さがあるのも良いのかも。
リツイートしにくかったり、リンクつけられなかったりする便利すぎないところも、実は魅力になっている気がする。
ミュージシャンとリスナーの程よい距離感を保ちつつ、演奏自体は誰でも出来るから、プロアマ混在で楽しめて、ちょっと浮き世を離れられる。
以前、ライフスタイルプロデューサーの村上萌さんが「instagramは現代の短歌である」と言っていて、なるほど!と思ったのですが、短歌ってすごくJ-pop的だよな(月を見て、会いたくて会いたくて震えるのは短歌でもやってたしJ-popはその延長っぽい)、とふと思い至りまして・・。
めちゃめちゃクオリティの高い写真(って曖昧だけれど・・・)でなくても、文字との合わせ技が効いていて魅力的だったり、どっかで聞いた事あるような曲(写真)なのに(ゆえに)、共感したり好きだなぁと思ったり応援したくなって「いいね♡」を押しちゃう、ラジオにリクエスト(アカウントフォロー)しちゃう、そんな感じなのかな、と。
特に真新しい発見はないのですが、音楽と思うと腑に落ちる説明が出来る気がしたのでした。
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コンテンツディレクション、文筆。工芸、古典芸能など暮らしや日本文化に関することを中心に、講座やイベントの企画・ディレクション、取材・執筆をしています。和樂web(小学館)、サントリー、中川政七商店、NewsPicks NewSchoolなどでお仕事中。夜の散歩、のんびり美術鑑賞、お茶の時間、動物が好き。