自由が丘のダゴバ(?!)、奥沢。
セミナーでご指導頂き大変お世話になっている、古藤先生の整体サロンSOLECKA(ソレシカ)へ。
整体サロンSOLECKA(ソレシカ)
http://k-style.org/
先生にみていただく夫に付き添って伺い、施術の様子を見学させて頂きました。
テクニックや姿勢を伺う事はあっても、人が受けているところをフルコースで見せて頂けることなんてないので、とても貴重な機会。(先生の懐の大きさに感謝です。)
施術を受ける人の為に整えられた場は、とても良い気が流れていて柔らかい。
だけれど(だからこそ?)、みだりに立ち入ってはいけない気がして、少し遠くから眺めるように拝見した。
美しい。
施術が始まって、「なるほど」でも「ほうほう」でもなく、ただただその言葉が浮かんだ。
そしてふと、一客一亭の茶事を思い出した。
それはたった1人の客人の為に用意された場で、心を尽くしたもてなしをする時間。
場は清められ心地よい設え。亭主の所作は無駄がなく洗練されている。
そして、柔らかい視線の先は客人の息遣いひとつひとつの変化を敏感に捉えている。
施術であると同時に、アートの域にあり、また、もてなしであるような・・・。
「もてなし」というのは、「お・も・て・な・し」以降の「盛り盛りサービスする」というのとはちょっとニュアンスが違うと私は思っている。
華美でも過剰でもなく、むしろ削ぎ落されている。
必要なものを見つけ出し、1つ1つ手渡していく。
淡々として見えるけれど冷たいわけではなく、そこにそっと真心がある。そんなイメージだ。
先日、先生は「テクニック以上に重要なのは、観察する力だ」とおっしゃっていた。
その言葉がとても印象的で、すごく心に残っていたけれど、今日、間近に見る事でその意味を改めて考えられたように思う。
相手の身体・・筋肉や骨骼の本当に小さな変化を、じっくりと見つめていく。
目で、指で、手で、腕で、
少しずつ緩んでいく筋肉や可動域が変化する首や腰のその変化を見逃さず感じ取っていく。
決してバキ・ボキっといった激しい手技を使わない先生の手は、非常に繊細に、そして確実に歪みを捉えて自然な状態へ導いていく。
ただひたすら「向き合う」時間なのだ。
SOLECKAのウエイティングスペースはゆったりくつろげる空間。
寒い季節は奥の暖炉に火がともります。
先生の施術やマインドに魅せられて、セミナーに何度も参加させて頂くようになって、私の手技はガラリと替わった。(施術フィールドは違うけれど、すごく影響を受けています。)
数年前まで、力を入れて動かした方がもちろんしっかり動くはず!そう思っていた。
しかし、強い痛みや変化は他の場所にも広がってよからぬ影響を及ぼすリスクがある。
手技の良い悪いは受け手が決める事だけれど、強圧の頃の私は「整うハズ!」という思いが強くて、変化の観察が甘過ぎたように思う。見ている部分に結果は出ているけれど、他が崩れていたかもしれない。施術の押し付けになっていたのではないか、と。
「テクニック以前に、当時は向き合う事が足りていなかった。問題はここだったか。」そう腑に落ちたのだ。
ここ数年の自分の新しい施術の仕方を改めて振り返ると、以前よりクライアントの変化を確認する時間が増えたなぁと思えて少しだけホッとした。
向き合って、受け取る(そしてそれは過剰でもいけない)。
このことを大切にしていきたい。
ちなみに古藤先生はマスターヨーダがお好きです。サロンにもそのお姿が。
(なので、私は心の中でマスターコトー!とお呼びしています。笑)
さて、施術開始直後からイチコロでスヤスヤ寝息を立てていた夫。
起きたら身体が整っていてすごく幸せそう。
整体サロンSOLECKA(ソレシカ)
http://k-style.org/
SOLECKA Seminar site
solecka.strikingly.com

コンテンツディレクション、文筆。工芸、古典芸能など暮らしや日本文化に関することを中心に、講座やイベントの企画・ディレクション、取材・執筆をしています。和樂web(小学館)、サントリー、中川政七商店、NewsPicks NewSchoolなどでお仕事中。夜の散歩、のんびり美術鑑賞、お茶の時間、動物が好き。