言語と対話のはなし

夜中の映画館に行くのが好きです。
今宵は「メッセージ」を観に。

 

先日、内田樹さんの「街場の文体論」をみんなで読むっていう機会があって。
読んで記憶に残ったことの1つが「人は自分の使っている言語の枠組みの中で思考する。
新しい言語を習得する事で新しい考え方を知る事になる。」というような内容だった。

映画を見ながらその話を思い出した。

 

 

行き帰りの車の中で夫と話が噛み合わなくて(いつもなんだけども)、
なんでかな〜って考えていて、
夫は音や響きに注目が行っていて、私は意味や組み合わせを気にしてるっていうのが大きい気がした。

だから同じ話でも、気になったり「なんで?」って思うポイントが違うし、
そもそも「そんな話あったっけ?」と興味の対象外の事はお互いすっぽり忘れていたりする。

それでも会話したり一緒にいようとするのは、伝えたいわかりたい欲求がまだお互いにあるからなのか、なかなか謎である。

 

我々の話のところは言語の話からちょっとそれちゃったけど、
自分が見てる世界とか世界観って自分が思ってる以上に狭いんだろうなぁって改めて思って、
他の言葉を持ってみたくなった。

内田さんも「自分の思いを伝える道具として英語習得しようってモチベーションじゃ伸びないけど、そちら側の世界が知りたいと思うと学べる」って書いてたな。

この本自体、書いてある事が一回読んだだけじゃよくわからん。
だけど何かすごい。何を言ってるのか理解したくなる。相手の伝えようとする熱がこちらに響いてくるし、そこに大事なものがある気がして気になるのだ。

 

 

 

 

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小俣荘子(omata shoko)
クラシノキカク 代表 / ディレクター・コラムニスト・施術家
衣食住にまつわるコンテンツの企画・ディレクション。頭蓋矯正と深層リンパドレナージュを中心とした身体を美しく健康的に整える施術。
「心地よい暮らし」を切り口に、心と身体の双方から健やかに日々を愉しむ提案をしています。

2017-06-02 | Posted in blog, 読んだ本, 映画・観劇No Comments » 

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